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2020/05/08.Fri

お知らせ

小説家を目指すと言いながら、実際にはまだ何も書いていません。

しかし、独立直後の仕事が無くてヒマな今が、小説を書く絶好のタイミングではないかと思います。

そこでしばらく、小説を書くためにブログを書く頻度を落とそうと思います。

今後は、何か書くべきことがある時にだけ、書くようにします。
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2020/05/07.Thu

私の履歴書スピンオフ②

東京の不動産売買仲介会社から熊本に帰ってきた時の話です。私は、職業訓練に行きました。それも、普通は3か月のところ、あえて6か月のコースに申し込んだのです。しばらく、働きたくなかったのです。

同じ職業訓練に通うことになったメンバーは、男女15、6人だったと思います。半年間、毎日朝から夕方まで同じ教室で授業を受けるのですから、そのうちに色々なことがある訳です。

私は当時28歳でしたが、私以外にも20代後半から30代前半の男女が4、5人ずついました。そのうち、若い独身のメンバーが中心となり、授業の後に飲みに行ったり、ラウンドワンに遊びに行ったりするようになりました。

ある日、ランチの時間に男性陣だけで話をしていて、女性陣の中で誰がタイプか、という話になりました。すると、男性陣の人気は、20代の女性2人に集中していました。当時26歳のMさんと、当時25歳のTさんです。

私も、密かにTさん狙いでした。問題は、当時彼女には彼氏がいたことでした。まあ、魅力的な女性にはパートナーが常にいるものです。こればかりは、仕方ありません。

職業訓練も終わりに近づき、それぞれが進路を決める必要が出てきました。私は既述の通り、地場の不動産会社に就職が決まっていました。Tさんは福岡の会社に就職が決まったとのことでした。

私は思い切って彼女に告白することにしました。福岡に行くことを止められるかもしれないと思ったのです。それに、彼氏を残して福岡に行くわけですから、うまくいっていないのだと判断したのです。

しかし、フラれました。彼女は福岡に行き、私は超絶ブラック企業での兵役に突入するのでした。

ところで、実名のブログで他の女性の話をして、奥さんに怒られないのか?と思われたかも知れません。でも、大丈夫です。そのTさん、今は私の妻だからです。
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2020/05/06.Wed

私の履歴書スピンオフ➀

私が最初に就職した地場大手の不動産会社を辞め、東京の不動産売買仲介会社に転職し、上京したのは平成20年6月8日でした。翌日からの勤務に備え、この日は会社のある品川にホテルを取っていました。

熊本を出て東京駅に到着したのは昼ごろだったと思います。まだホテルにチェックインするには早すぎるので、駅の掲示板を見ながら、どこかに観光にでも行こうかと考えていました。

田舎者の私に思いつく場所といえば、新宿、渋谷、池袋、そして秋葉原くらいですかね。しかし結局、長旅で疲れていたので、昼食をとった後、品川駅周辺で少し時間をつぶし、そのままホテルにチェックインすることを選択しました。

昼の3時か4時くらいにホテルにチェックインし、荷物をおろしてベッドに横になりました。そして、何気なくテレビをつけると、ワイドショーが大騒ぎをしていました。秋葉原で、あの無差別通り魔事件が起こったのです。

東京-秋葉原間は2駅ですから、徒歩でも10分程度です。あの時、もし私にもっと体力が残っていたら、もし新たな勤務先が品川ではなかったら、もしもう一つ早い便に乗っていて時間に余裕があったら。

私の東京生活スタートの日は、こうして忘れられない日になったのでした。

次回は、私の履歴書スピンオフ②です。
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2020/05/05.Tue

私の履歴書⑩

平成29年の7月2日に、司法書士試験を受けました。藤井聡太四段がプロデビューからの連勝記録を28で止められた日ですね。ここから筆記試験の合格発表までは、3か月弱あります。そこで、短期のアルバイトをすることにしました。

短期のアルバイトの募集は、それほど多くありませんでした。私は、大手清涼飲料水メーカーの自販機にジュース等を入れて回るアルバイトに決めました。

もし不合格であれば、司法書士事務所に補助者として就職して、2回目(通算3回目)以降の試験に臨もうと考えていました。合格していれば、即独立しようと考えていたのです。

このアルバイトは、率直に言って、今までの仕事の中で一番しんどかったですね。何がしんどいって、夏の炎天下にずーっと屋外で肉体労働なのです。大げさではなく、本当に死ぬかと思いました。

ユニフォームを着て仕事をする訳なんですが、そのユニフォーム、何を思ったかリサイクルしたペットボトルで作られており、吸水性や通気性が非常に悪いんです。結果として、大量にかく汗を下着だけで受け止めることになります。

汗を吸った下着がいつまでも肌に張り付いていたものだから、ひどいあせもになりました。ただし、大量に水分を摂取し、大量に汗をかく、というデトックス効果により、お肌は史上最もツルツルでしたので、場所によるお肌間格差が非常に大きかったわけです。

この夏は、特に熊本が非常に暑かったです。朝から天気予報で確認するのが日課でしたが、熊本が全国で最も気温が高い日もありました。38度とかです。殺人的な暑さです。

ある日、アルバイトの帰りに自転車をこいでいると、「おーい」という声が聞こえ、あたりを見回すと、畑でおじいさんが倒れていました。畑に水を撒いていて、熱中症で倒れたんでしょう。

おじいさんが持っているホースからは水が出っぱなしで、おじいさんも地面に溜まった水で全身が泥だらけでした。救急車を呼ぼうとしたら、おじいさんが「家族が近くにいるので、呼んでほしい」と言うので、そうしました。

すぐに息子と思われる男性が現れたので、私はすぐに帰りました。その後、着信履歴から私の携帯におじいさんの娘と思われる女性から連絡があり、お礼がしたいとの申し出がありました。

もちろん、丁重にお断りしましたが、どうしても住所だけでも教えてほしいと言われ、結局教えました。後日、感謝の手紙とともに商品券が送られてきました。

事実は小説より奇なり、と言いますが、ここまでなら割とありそうな話ですよね。しかし、私は気づいていました。私が助けたあのおじいさん、実は地元では割と知られた地主兼不動産屋さんなのです。

なぜそれが分かったかというと、お礼の電話が掛ってきた時、私が出なかったので不在着信となり、それが知らない番号だったので事前にネットで調べたのです。すると、身に覚えのない不動産屋の番号でした。

身に覚えはありませんが、私も不動産業界にいた人間なので、その名を知ってはいたのです。そして、何の用件かは全く分かりませんでしたが、折り返したのでした。

これがもし小説なら、この後司法書士が偶然その地主兼不動産屋さんと再会し、「あ、あなたはあの時の!」となるでしょう。そして、その後はその不動産屋さんからコンスタントに登記のお仕事をもらうようになり、ちゃんちゃんです。

しかし、現実はそうなっていません。このエピソードは、私が書く小説で完結するかも知れませんね。

次回は、私の履歴書スピンオフ➀です。
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2020/05/04.Mon

私の履歴書⑨

兵役を終えた私が次に選んだのは、家賃保証会社でした。前職の反動で、どうしても土日休みの仕事が良かったのです。前職までの不動産営業のキャリアを買われ、採用されました。

この家賃保証会社は、ホワイト企業とは言えませんが、土日は休みだし、夜もそんなに遅くないので、とても居心地の良い会社でした。結局、司法書士試験を決意するまでの、最後の会社となりました。

家賃保証会社とは、賃貸アパートの入居者と家主との三者間契約により、入居者の家賃を保証し、家主に立て替えて支払うことを業としています。立て替えた後は、入居者に請求します。

ほとんどは別に連帯保証人をつけてもらうため、入居者にはほとんどメリットがありません。問題は、このほぼ家主にしかメリットがないサービスの対価を、全額入居者に支払わせる点ですね。

そういえば、昨今のコロナ騒動で家賃滞納者が増える一方で、不可抗力によって支払えなくなった人たちをアパートから追い出すのは、非人道的だという意見もあり、家賃保証会社は厳しい立場になりそうですね。

私は営業職でしたが、同じフロアでは、「債権管理部」という名の督促部隊が、朝から晩まで督促の電話をかけていました。まあ、中には怒鳴ってる人もいましたね。「ヤ〇ザみたいな取り立て」だと、巷では囁かれていたようです。

実は、この督促部隊のほとんどは、過払い金で弱って社員を大量に放出した消費者金融の出身者でした。元ア〇ムの先輩が元後輩を呼び込む形で入社させたりするものだから、社内には一種の派閥みたいなものまでありましたよ。

しかし、私の個人的な趣味なのでしょうが、人物的に魅力のある人は、営業部より債権管理部に多かった印象ですね。小説を書く上では、ためになるはずです。

例えば、靴の先がとんがっているので部長にいつも怒られていた係長とか、会社に内緒で行政書士の副業をしていて、さらに、あとで横領がバレてクビになった主任とか。

めっちゃ太っていて、40代後半まで独身だったのに、突然お見合い結婚した平社員とか、債権管理部では「鬼」だと恐れられていても、私たち営業部の人間には、下ネタをいうオヤジでしかない部長とか。

結局、この会社も4年半くらいで辞めました。表向きは、司法書士試験に挑戦するため、ということになっていますが、実際にはほかの理由もあります。

営業の仕事がしんどかったこと、そして、新しく社外からやってきた取締役に、私の怠慢を見抜かれたことが理由として挙げられます。

取締役ですから、しょっちゅう店舗にいる訳ではないのですが、それでも人を見る目があるんでしょう。彼との2者面談の時に、はっきり言われました。「このままでは君は、会社にぶら下がっているだけの社員になるぞ。」

自覚はありました。目標もなく、なんとなく働いていました。それを、あっさり見抜かれていたのでした。私のことを高く評価してくれる上司もいた中で、彼は違ったのです。

もう辞め時だな、と思いました。以前からくすぶっていた「サラリーマンには向いていない」という思いが、確信に変わったのでした。雇われずに独立してできる仕事は何か?真っ先に思いつくのは、司法書士でした。

次回は、私の履歴書⑩です。
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2020/05/03.Sun

私の履歴書⑧

前回のヤバい会社を辞めて転職したのも、結局は不動産会社でした。この時にはもう、「自分には不動産業界しかないんだな」と諦めていたのです。次の会社は、アパート建築大手のあの会社、「D」です。

地場の不動産業者に勤めていた時から、給料が高いという評判でした。それが、私がこの会社に入った動機です。当時は今よりもっと短絡的だったのですね。

そして今回も、入社してすぐに後悔することになります。こちらも、超絶ブラック企業だったのです。

前の会社がヤ〇ザ系だとすれば、こちらは軍隊系とでも言いましょうか、とにかく「気合と根性」が求められる会社でした。

朝は、課長が7時半くらいに出社するので、それに合わせて出社します。夜は9時すぎないと帰れません。そして、驚くべきことに、休みは基本的にありません。これでも、一部上場企業ですよ。

私はこの会社にも半年ちょっとしかいませんでしたが、その間に休んだのは、正月休みと兄の結婚式の合計3、4日程度でした。

私は労働基準監督署というものを全く信用しなくなりました。在籍中に何度も、労基署の調査が入りましたが、何も変わりませんでした。こんな会社を野放しにしておいて、何を「監督」しているのでしょうね。

私の仕事は賃貸仲介の営業職でした。不動産屋を回り、自社のアパートに入居者を紹介してもらうことが仕事です。この紹介の件数が、営業マンの次月の給与に直接反映されるシステムでした。

しかし、私が入社した時点で、紹介件数が多いアパマンショップやエイブル、ハウスメイトといった大手フランチャイズ系の会社は、すでに先輩社員が担当しており、そこに営業に行くことは許されません。

結果として、ほとんど紹介実績のない小さい不動産屋に通って、なんとか実績を積み上げるしかないのです。私の場合、ほとんど毎月、固定給のみだったと思います。

毎朝の朝礼では、社訓を叫ばされます。アパートを地主に建てさせる、「建築営業職」は、司会から名前を呼ばれると、「はい!5か月です!」と元気よく応じます。「〇か月」というのは、自分が最後にアパート建築を受注してからの経過月数です。

これが10か月とかになる頃には、会社にいずらくなって辞めていくというシステムです。もちろん、社風が合わずに、入社してすぐに辞める人が大多数ですけどね。

入社後の新人研修は、入社3か月目になってから行くことになっていました。それまでに辞める人が大多数なので、残った人だけに研修を施そうという発想なのです。

研修は、一言でいえば「大声を出す研修」でした。社長が「うちには頭のいい営業マンは要らない!」という会社ですから、そうした思想を反映しているのでしょう。

研修の講師は、研修最終日に私にこう言いました。「私はこの3日間であなたを変えられなかったことだけが心残りです。」と。この言葉は、今や私にとっての勲章です。

この会社に入ったことのメリットといえば、メンタル的な耐性が付いたことですかね。この会社と、一つ前の会社に勤めていた間は、兵役だったんだと思っています。

次回は、その次に就職した家賃保証会社についてです。
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2020/05/02.Sat

私の履歴書⑦

熊本に帰って最初にしたことは、職業訓練に行くことでした。でも、この話はまた、別の機会に。

職業訓練中から職を探していました。それまでは不動産業界の仕事をしてきましたが、この時は雑誌の編集だとかの未経験の仕事に応募しました。文章を書いたりするのが、好きなんですね。

しかし、結果は全滅。面接にも至りませんでした。結局、また地元の小さな不動産屋に就職したのですが・・・。

この時に就職した会社は、まあ控えめに言ってもヤバい会社でしたね。ホワイトとかブラックとかの次元ではないのです。残念ながら、実名のブログでは全ては書けません。

書ける範囲でいえば、例えば、代表者には当時すでに逮捕歴がありましたが、私が辞めた後にも逮捕されたようです。また、社長が別で経営していた焼き肉屋の従業員は、本職のヤ〇ザでした。私も、その焼き肉屋に何度も手伝いに行きました。

実質的な社長は、宅建業法上代表者になれないので、別の友人に名前を借りてました。それに、専任の宅建士は、なぜか偽名で営業をしていましたね。何かやましいことがあったのでしょう。

従業員は4、5人の会社ですが、常に求人が出ていました。入った人がすぐに辞めるからです。

入社して5か月目に、会社の代表者として名義を貸していた人と飲んだことがありましたが、その人が私に「入社してどのくらい?」と尋ねてきました。

私が「5か月目ですかね。」と答えると、その人は、「凄いじゃん。今までの社員で最長記録じゃないの?」と社長にきいていました。

この会社も半年で辞めました。私は密かに、この会社での経験はいつか小説に書こうと心に決めたのでした。

次回は、次に就職した会社です。
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2020/05/01.Fri

私の履歴書⑥

2008年の6月、最初に就職した地場大手の不動産業者を3年ほどで辞め、私は東京の不動産売買仲介の会社に転職しました。

この会社は、不動産投資家に対して、収益物件を専門に仲介している会社でした。私は、この収益物件に特化しているという点が気に入って、この会社に就職したのです。

というのも、この当時は、私にロバートキヨサキ氏の「金持ち父さん」ブームが到来していたのです。同じような不動産投資関連の書籍を数十冊読み漁り、将来は自分も不動産投資で生計を立てる、という夢を描いていました。

そのためのノウハウの習得と、資金調達のために私が選んだのが、東京の不動産仲介会社だったのです。ご存じの通り、不動産の仲介手数料は売買金額に比例します。よって、物価の高い東京で働くのが一番手っ取り早いと考えたのです。

書籍のおかげで知識が頭パンパンに入っていましたので、問い合わせをしてきたお客さんにその知識をそれとなく披露するのが楽しみでした。

当時はサラリーマン大家が流行っており、サラリーマンからの問い合わせが沢山ありました。高所得のサラリーマンは、持ち前の真面目さで不動産投資について勉強していましたが、私もかなり勉強していたので、負けません。

ある時、ゲーム会社のスクエアエニックスの社員から問い合わせがあり、会うことになりました。興味本位でどのゲームの制作に携わったのか、と尋ねてみると、なんと「ドラクエ」とのこと。東京はすごいなあ、と思った瞬間でしたね。

彼と不動産投資について話しているとき、彼から、「あなたの将来が楽しみだ。」と言われました。当時まだ27歳くらいなので、よく勉強しているなあ、と感心したんでしょうね。

こんな風に、上京後しばらくは東京でのシティライフを謳歌しました。港区にある社長の物件に住み、イヤホンで英会話を聞き流しながら、山手線に揺られて通勤していました。

一件の仲介で数百万円から数千万円の手数料が得られます。そのうちの15%が私の歩合給でした。年収1000万円も夢ではない。バラ色の未来を想像していました。

しかし、誤算がありました。東京にもやっと慣れ始めたその年の9月に、あのリーマンショックが起こったのです。

みるみるうちに景気が悪くなり、金融機関は融資に消極的になっていきました。当時は、倒産寸前の会社からの投げ売り物件が市場に多数出回り、売りたい人と買いたい人が揃っていましたが、売買が成立しないもどかしい状況が続きました。

結局、この会社にも1年しかいませんでした。売り上げもなく、固定給だけをもらい続けることが心理的にきつくなったのです。そして、何もやりたいことが無いまま、熊本に帰ることになりました。

次回は、熊本に戻って就職した会社の話です。
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